本村神社と龍光寺
押立神社のそばに本村神社と龍光寺があります。
本村神社は、江戸時代初期に多摩川の流路が変わって押立村が南北に分断され、北側が本村となったのちに創建されたという事です。
龍光寺は天台宗で神明山薬王院と号し、江戸時代は深大寺の末寺で、押立神社も、稲城の島守神社も「龍光寺の持」だったとされていますので、この返一帯の寺社を所有していたのでしょう。たび重なる多摩川の氾濫により境内地や寺領等が流出し、現在の地に移転したようです。
ここには、押立村の名主で多摩川大洪水の後の治水工事や、武蔵野新田の安定化などで、村々の救済・復興に尽くし、やがて岐阜県や島根県に幕府代官として派遣され、大きな業績を残した川崎平右衛門定孝の墓があり、東京都の文化財(旧跡)に指定されています。然し解放された構えではないので、中には入れませんでした。門の外には、「武蔵府中郷土かるた」の「き」の札、「ききん救った平右衛門」の碑が建っています。龍光寺の入り口に庚申塔がありました。
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